スマイルドーナッツの乱筆乱文記

テキトーなサブブログ。1つの記事でいろんな事いってるので内容に纏まりはありません。

111(▪️「誰もが努力すれば成功できる」は本当か▪️文化資本の壁)

保守論客である西部邁さんの

「法の下での平等は機会の平等をさすにすぎず、結果の平等までをも意味しないと理解するのが通常である。」

という発言を聞いたことがあります。そもそも機会の平等というのは、能力の先天的不平等のように回避できない条件を考えると、形骸化された平等原理にすぎない、とも聞きます。

 

結果平等は、低きに合わせることで、全ての個人を抑圧する方向に働きます。ポル・ポト政権のような恐怖政治をイメージします。

機会平等を考えるにあたり、「文化資本」という概念を紹介します。

文化資本とは単に収入のような経済資本だけでなく、言葉の使い方や振る舞い方、学歴、音楽や絵の文化的素養などに関する資本のこと 

東大に入るのは、文化資本の高い家庭の子供が多いと聞きます。実際、経済資本と学歴は比例関係にありますが、文化資本については定量化が難しいため、無視されがちです。

しかし、金持ちの家庭には基本的に文化資本があり、その文化資本を有する人が社会の重要なポジションにいると考えます。

 

以下に社会学ピエール・ブルデュー文化資本の分類を、便宜上かんたんに書き換えて記載します。

①身体化された文化資本

ハビトゥス(人格や思考方法)のように譲渡が難しい。

②客体化された文化資本

芸術作品のように、その価値を理解すること自体に意味があるものは、売買により価値の理解が伝達されない。

③制度化された文化資本

学歴や専門職の価値から経済資本への変換を促進する。

貧乏人の子供は機会の選択肢が狭く、金持ちの子供は機会の選択肢が広い、という機会の格差があります。「誰もが努力すれば、成功できる」は文化資本の壁を乗り越えなければ難しいと考えます。

 

それでも私は、機会を掴みとる覚悟があります。

 

▼反・知性主義の言葉遊び

言葉遊びをするなら、私のような破壊的イノベーターの性格特性を持つ者は、反知性主義を加速させると推測します。ここでの反知性主義は正反対の2つの意味を持ちます。ポル・ポトのように知性そのものを否定するのではなく、知性と権威の結び付きを否定する。すなわち、知性の収奪に反する「反・知性主義」は、機会平等の観点で重要かもしれません。