スマイルドーナッツの乱筆乱文記

テキトーなサブブログ。1つの記事でいろんな事いってるので内容に纏まりはありません。

107(▪️社会システムに従わない生き方)

 

存在論ontologyに則して生きよという実在主義realismに抗い、存在論ontology踏まえた上で、敢えて無視した生き方。

上記のようなロマンな生き方があります。私はそんな生き方をしていますが、敢えて無視して生きるというより、結果的にそうなってしまったタイプです。それがロマンかは微妙ですがね。

存在論のように「社会とはこういうものだ」と社会システムをある程度理解できても、それに従うことができない人がいます。

理解しているなら、従うことができないのではなく、従いたくないだけではないか、と問われることがありますが、理解していてもできないこともあります。

 

▪️社会システムの本質

後期近代(ポストモダン)において社会のプラットフォームは、椅子取りゲームで先に椅子をとった人が、権利を全取りできます。

私たちが、受験のような全体最適の勝ち抜きゲームで勝ち抜くことは、社会のネットワークに存在する共同体に最適化して、権利の分配を受けることとも言えます。

最適化は楽という人もいるでしょうが、最適化によって入れ換え可能となってしまうことに、生きづらさを感じる人もいると思います。

ちなみに私は、共同体に最適化する能力が低いので、生きづらさどころか、生きることができません。

 

▪️社会システムの今後

かつての社会では、未来が向こうからやって来るようなものでした。簡単に言えば、先生や親の言う通り、黙って勉強して大学に入学し、正社員になって勤めあげることで、安定を勝ち取ることができました。

その反面、安定を目指すリスク管理の生き方が時代の流れならば、共同体からの逸脱がリスクと見なされました。

しかし、社会システム自体が壊れたとき、社会へ最適化していた人たちも、同時に沈むことになります。

最近は人そのものをリスクとする見方が増えてきました。人よりAIの方が確実ということです。プラットフォームで権利を全取りした権力者は、労働者に再配分する必要がなくなったとも言えます。

ますます格差広がり、かつての正社員のような安定したリスク管理の生き方が、難しくなってしまいました。

多様な生き方の時代とは言われますが、いわゆる普通の生き方が難しくなっているという点で、大多数の中産階級は没落に向かっていると考えます。

 

▪️ロマンに生きること

基本的に、ロマンに生きることはお勧めしません。大多数の中産階級にとっては、社会システムの中で生きるのが楽だと思います。そのためにも、現行の社会システムに代替できるような、共同体も充実させていかなければいけません。