スマイルドーナッツのテキトーなサブブログ

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83(▪️映画イノセンスから、不完全な人間は何を求めるかを考察する)

 

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押井監督のイノセンスを久しぶりに見た。我々人間には身体がないことをテーマに、進化により不完全な存在となった人が、完全な存在である動物・人形・子供・神を求めることを考察していた。

 

人形→精神の存在しない身体そのもの。

神→無限の意識を持ち、身体からの解放を意味する。

動物→自意識を持たないため、身体と精神が一致している。故に人形や神と同等の完全さをもつ。

子供→自意識を持たない子供は身体そのもの。しかし人形とは違い何者か判明していない。

 

特に人形は大きなテーマになっている。


「人形の不気味さがどこから来るのかと言えば、人形が人間の雛型であり、つまり人間自身に他ならないからだ」

 

そもそも人形とは人間に真似て作られたものである。古くは日本でも、案山子や流し雛のように、神あるいは悪霊の依代としてきた。

 

この映画では、球体間接人形がモチーフとされるアンドロイドが登場する。球体関節人形は人形業界でも一大ジャンルの1つだが、このジャンルの魅力はパーツを接合する球体にあると押井監督はいう。

 

ラ・スペコラ→愛玩用アンドロイドの自壊のイメージ

人形劇→カーニバルの演出

 

「自然が計算可能だという信念は、人間もまた単純な機械部品に還元されるという結論を導き出す」

劇中でも登場した、18世紀の「人間機械論」のような唯物的な考えは、人間が虚無に帰属する恐怖を生じさせる。

 

この恐怖を解決するため、人間は上記のような完全な存在を求める。