スマイルドーナッツのテキトーなサブブログ

テキトーなサブブログ。1つの記事でいろんな事いってるので内容に纏まりはありません。

66(▪️社会を知るために▪️それでも社会に対して敬意を払うということ▪️俺が集団知から得たこと)

▪️社会を知るために

社会とはなんなのか。集合無意識とかそーいう心理・哲学の話題じゃなくて、実社会のことな。

俺はここ最近、大企業から中小企業まで、企業間の取引をしたり、業務委託で派遣社員みたいなことをやってる(代表なのに笑)。 実社会を帰納的に推論するには、単一の情報源では難しいからな。

もともと自己裁量でいろいろやってたから、社会というのは机上の空論だったが、机上と実社会は大きく異なる。極論だが、実社会の集団知こそが『おままごと』であると主張したい。ここでいう『おままごと』とは、特定の社会集団に対して敬意を払うために行動することをいう。囚人のジレンマもそうだが、集団知により更新が妨げられ続けているのに、あたかも、それがよいかのような気風がある。

 

▪️それでも社会に対して敬意を払うということ。

集団知は『おままごと』であることは多いが、敬意を払うことにもよいことはある。

「労働者にとっての生産性は、いかに楽して稼ぐか」という事実を理解した上で、他人が大事にする集団知についても、その大事なものに対して敬意を払うことが、ミラーニューロンや紡錘細胞などの脳科学的見地からも、自分と所属する集団のためになるからだ。

 

▪️俺が集団知から得たこと

俺は相手先の企業に対して、敬意を払うことが足りなくて、失敗したことは多い。が、あいにく若造であるゆえ、必要な指摘を頂きやすいことから、自分の何が悪かったのか、理解に近づいている。

具体的な失敗は、抽象性をスライドさせなければならない。もちろん、イノベーションは必要だが、まずは『多様過ぎるおままごと』を理解してから、必要な更新を提案する。

 

俺は脳の脱抑制を必要としない、典型的なアイデア創出を得意とするが、これは機会に恵まれていたからだ。機会の獲得とは、労働者の生産性と経営者の生産性の、対立構造を考えると、一見カモにされてるだけに見えることもある。それを判別するために最新の学問を学び続ける必要がある。

集団のためと個人のための共存には、どうしよもないジレンマがあるが、多くの人が機会を獲得すれば、更新を少しずつ促せるはずだ。