スマイルドーナッツのテキトーなサブブログ

テキトーなサブブログ。1つの記事でいろんな事いってるので内容に纏まりはありません。

93(▪️計画ありきの都市デザイン▪️自閉症の方の記憶形成)

▪️計画ありきの都市デザイン

都市計画において、計画ありきの都市デザインは、土地に残る個性を潰してしまうことがある。UR都市機構を筆頭に、ニュータウンが林立されたが、実際には画一的なベットタウンばかりだ。

共同体レベルでは、個性を潰した町は代替可能で、緩やかな衰退に向かう。代替の難しい都市デザインは、長い年月をかけて土地に根付いた文化を踏襲するものだ。

個人レベルでは、家は買った時点で負債になる。だからこの場所に家を立てたい、というポジティブな理由が必要だ。

 

もちろん横浜みなとみらいのように

▪️観光・港町というブランド戦略

▪️関内と横浜繁華街を接続するという目的

▪️高層建築のスカイライン

など、大規模計画であれば計画ありきの都市であっても、個性を確立した成功例はある。

この場合は比較として、神戸の失敗についても語らなければならないが、またの機会に。

 

▪️自閉症の方の記憶形成

自閉症の方いわく、「みなさんの記憶は線で繋がっているが、私は点で散らばっており、話すときにそれを拾い集めている」という話を聞いた。

重度自閉症の方であっても、衣装を変えた僕の顔をしっかりと覚えて下さっていることが多い。そこらへんの記憶力(顔認識ニューロンを介するものなど)は僕より遥かに高いのではないかと思う。

さて、彼らが知覚する世界は、VRの体験デバイスでは知覚過敏ばかりが再現されていまうが、記憶方式に関しては再現が難しい。

そもそも我々は受動意識仮説のように、エピソード記憶の中で、感情のラベル付けがされる。しかしこのタイプの重度自閉症の方は、エピソード記憶が弱いため、何らかの記憶方式を強めている可能性がある。

この場合、時間感覚は我々と全く異なることもあるが、量子論観測における意識の問題に関係するのではないか(詳しい人教えて下さい)

感覚が大きく違うはずなのに、昔から僕は健常者より彼らに共感してしまう。それは何故だろうと考えていた。DSM5に定義されるニューロマイノリティーは、未規定性に誘惑され抗えない。それが本質ではないか。

92(▪️理解の解像度を上げる必要性▪️理想論どうりにいかないことは大前提)

▪️理解の解像度を上げる必要性

視力の悪い人が遠くのものをみても、遠くでおこっている事がボヤけてしまいます。分かりやすい話だけしか理解できないと、話の理解もボヤけてしまうことがあります。

実社会は複雑性が高く、簡単に見えることでも、二元論で語れる事はほとんどありません。人間の性質から便宜上、白黒つけているに過ぎないのです。

視力を上げることは、メガネを使わないと非常に困難ですが、

理解の解像度を上げることは、時間さえかければ可能な人は多いでしょう。

以下のメインブログの記事はサブブログの記事を再編集したものですが、最近の僕の主張をまとめたものです。ぜひ読んでみてください。

分かりやすい話で、分かった気がしても、分かっているとは言えないことがある - スマイルドーナッツの雑記

 

▪️理想論どうりにいかない事は大前提

僕の記事は理想論だらけですが、クラウゼヴィッズの戦場の摩擦(戦争論)のように、実社会の摩擦は大きく、理想論どうりにいくことは、ほぼありません。当然そういった前提がありますから、よく読んで頂ければ、極左思想や宗教的カルトとは程遠いことが分かると思います。

自分が右翼左翼ではないニュートラルだと自負していても、「右翼左翼は第三者によって決められる」と考えられることはあります。

実際には、右翼は感情論、左翼は理想論、と単純な二元論で分ける方もいますし、第三者の指標も大抵いい加減なものです。経済学的なグロバリズムの縦軸、政治哲学における4本の柱のように、単純な話ではないことが分かります。

 

ちなみに「世界中に笑顔の輪」というのは、実際に叶えることは難しいがゆえのゴール設定です。抽象度の高い場所に臨場感を感じることで、自己言及のパラドクスを防止するためのものでもあります。

 

 

91(▪️リンキングリングと金輪の曲▪️ジャンル間融合の注意点)

▪️リンキングリングと金輪の曲

リンキングリングというと海外のイメージが強いですが、日本でも江戸時代より「金輪の曲」として記録に残っています。

現状ではステージマジックの一種として扱われがちですが、「金輪の曲」として披露する場合は南京玉すだれや傘回しのように、伝統芸の性質を強く持つと思います。

海外のリンキングリングと比較すると、日本では形作りの風習が残っていることも気になる点です。

 

▪️ジャンル間融合の注意点

実はリンキングリングには、メインとなるリンキング現象の他に、形作り(静的)やオブジェクトマニュピレーション(動的)など、異なる方向性の現象が内包されているのです。このため、形作りをするなら、物体の移動に視覚的な情報を割かれないよう、ジャグリング的マニュピレーションは最小限に留めないといけません。

 

この発想には普遍的な法則があります。基本的には、現象の単位時間辺りの情報量を考えるとよいです。例えばヨーヨーとダンスの融合を扱うのであれば、ダンスがヨーヨーの動きより大きい場合、ヨーヨーが見にくくなります。

 

▪️日記

僕のスマイルドーナッツという名前と相性がよいので、今回は形作りメインのスタンスで創作しました。明日から灯籠流しの形作りで、「笑顔の輪を広げたい」という願いを乗せていこうと思います。

 

90(▪️絶対音感の研究▪️表現の自由を考えなおすチャンス?)

▪️絶対音感の研究

https://univ-journal.jp/27353/?show_more=1

さんざん言われてきたが、まあそうだよねーて話。聞いた音を別の音と比較しないで「ドレミ」などの音名を判別できる能力の定義では、音を左脳で言語処理していることが分かった(?)この能力を持っていると、半音単位で個々の音を判別している人は多いのだろう。

楽曲においては、相対的に音を暗記した方がエピソードとして記憶しやすい。だとすれば絶対音感のように、個々の音を判別してしまうことが、ワーキングメモリの観点で暗記の邪魔になるかもね。

結局、絶対音感相対音感のシングルタスクを切り替えするなら、基準音だけ暗記して後は相対音感でいいのでは?つまり、音楽をしらない普通の人の楽曲の暗記の仕方が、一番効率的に思う。

 

▪️表現の自由を考えなおすチャンス?

21条の問題が話題だが、芸術祭の作品内容の是非が問われている。簡単にいうなら

「税金を払っているのだからなにをやってもいいわけではない」

「なにをやってもいいわけではない、という主張は違反」

という二項対立です。

今回はビデオニュースをみて気になった事を抜粋します。そもそも、文化芸術信仰基本法から文化芸術基本法の改正の問題がある。個人的にはこの解釈によって、法的な是非が異なる事を考えた方がよいと思う。それでも、脅迫を是とするのは、脅迫行為を勇気づけて後に明確な悪影響を及ぼすので、駄目という主張には賛成です。

さて、古典派の見せ物や宗教は、19世紀から自由な表現の売買が始まり、娯楽とアートに分岐した。

アートと名前がついていてもアートではないものもある。その中でも、1990年代後半からリレーショナルアートのような、製作段階における人と関係性を重視する動きのように、線引きが難しいものもある。(パブリックアートについてはみんな知ってると思うので割愛)

正直今回の問題は、法解釈、憲法解釈、アートの定義、によって主張が変わるレベル問題ですが、少なくともその複雑性を理解するチャンスになったのは確かです。